その中で「しあわせをつくる人」というタイトルのインタビュー記事を
掲載しています。
第一回目は、六本木カフェフランジパニのシェフでありギャラリーを担当している
面田透さんをインタビューさせていただきました
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プティ・プワソン インタビュー
「しあわせをつくる人」 vol.1
カフェ フランジパニ シェフ、ギャラリー担当 面田 透 さん
六本木のテレビ朝日前にある「カフェ フランジパニ」は、街の喧噪とは無縁の、ほっと一息落ち着くことのできる都会のオアシスのようなカフェだ。
このカフェでは壁一面を若手のアーティストのために開放している。しかも都心の一等地でありながら、無料で展示させていただけるのである。
プティ・プワソンのアート教室 Boutons d’artも、この春に展示をさせていただいたのだが、お願いに伺った時に初めてお会いした担当の方があまりに大らかでびっくりした。ファイルを持参し、こちらの展示したい意思をお伝えすると、二つ返事で承諾してくださった。
すーっと想いが伝わった理由が徐々に明らかになっていくのだが、その担当者である面田透さんをインタビューさせていただいた。
面田さんには展示中に様々なことをお願いしてしまったが、いつも「いいですよ!」と快く返事してくださった。飄々としていて今時の格好よさの方なのだが、その返事には、揺るぎのない一本通った芯のようなものが見えていた。
その泰然自若としたものは面田さんのどこから流れてくるものなのか、お話しを伺うことが本当に楽しみだった。
『高校時代、進路を選択するにあたってサービス業に進むか老人介護福祉に進むか真剣に悩んだんです』
第一声からびっくりする答えが返って来た。
『僕は広島で生まれ育って25歳まで広島にいました。今、35歳なので東京に来てちょうど10年経ちました。
進路に悩んでいたときに先生から「まだ若いから最初はサービス業に就いたほうがいい。福祉は年がいってもできるから」と言われ、ホテルマンになるために専門学校に入学しました。
卒業して広島の平和公園近くにあるホテルに就職し、宴会担当として結婚披露宴や宴会のサービスをしていたんですが、いろいろなお客さんがいらっしゃるので本当に大変でした。やりがいのある仕事でしたが、上司のことでずっと我慢はしていたものの、どうしても我慢できない出来事があってホテルを辞めてしまったんです』
穏やかな面田さんだけれど、想像よりはるかに骨太で真っ直ぐな人なのだ。
『その後すぐに、知人から広島の繁華街にあるショットバーを紹介してもらい、バーテンとして働くことになりました。開店から25年経つバーだったので、常連さんが多くて楽しい店でした。
僕はイベントの企画も任されていて、クリスマスにはデコレーションケーキを作ってお客さんを驚かせようとやってみたものの、上手く作れなかったんです。それがきっかけで、どうしてもケーキを作りたくて東京に出ようと決心しました。
そのバーは僕が入店してかなり売り上げを上げ、新店舗もできたので東京行きは周りから猛反対されたんですが、このタイミングでしか広島を絶対に出られないと思いました。思い込んだら動かずにいられない性質なんです』
その頃、面田さんのお兄さんは、歴史ある劇団の「ミスタースリムカンパニー」の俳優(面田成さん)として活躍されていた。東京に着いて、そのお兄さんの家を訪ねて行った。
『兄貴からは、「東京をなめるな」と叱られました。飲食店の面接に行っても落ちてばかりでした。僕は、くそ真面目だったので面接といったらスーツという考えがあって、当時誰も着ないようなダブルのスーツを着ていったんです。それで、ものすごく堅い人間に見られたようです。それでも飲食店に就職したくて面接を受け続けたんですが、とうとう兄貴からアパートを追い出されてしまいました。行くあてもなく野宿をしていた時に、突然、広島のバーに遊びに来ていた東京のお客さんを思い出し、彼に電話すると偶然にも兄貴の住んでいるところと同じ駅に住んでいたんです。それから少しの間、居候させてもらいましたが、相変わらず面接に落ち続けていました。
そのうちだんだんと同居させてもらうことが申し訳なくなってきて、最後の所持金の1万円に賭けてみようと決心しました。パチンコで負けたら広島に帰ろうと決めて、中野のパチンコ屋に入ったんです。
目の前の台に自分の人生を賭ける気持ちで始めたら、500円が3万円になったんです。それから居候させてもらっている友達を呼び出して、お金を払うから正式に同居をさせてくれと頼みました。同居のOKをもらい、その後受けた面接にもすぐに受かりました。それが南青山のカフェでした』
運命の扉が開いたように、物事が上手く行くときには一斉に歯車が回り出す。まさしく面田さんにとって、そのような瞬間だったのだろう。
『広島でバーテンをしていた経験を買われて、そのカフェの系列のバーで働くことになりました。そこで、常連客として来ていたフランジパニのオーナーと出会ったんです。オーナーはその頃、青山でバーを経営していて、そこで働かないかとスカウトされました。東京に来て、ちょうど1年くらい経った時です。それからすぐにフランジパニを立ち上げることになったんで、店も10年目になりました』
紆余曲折があっても、信じた道を進んでいくことで、面田さんは必ず大きな出会いを果たしている。
そのひたむきさは、幼い頃に培われたものだということが次のエピソードでわかった。
『親父が自衛隊だったんで、かなり厳しく育てられました。朝6時に窓ガラスを全て開けられ「起床!」と叩き起こされて、布団をたたんで掃除を始めなければいけないんです。僕は4人兄弟の末っ子なんですが、4人で毎日ローテーションをして、トイレ、洗面所、玄関、床磨きの掃除をする。その後、柔道着に着替えて、家の土手を2周、それから庭で剣立てとか突きの練習をして、朝食をとってから学校に行く。まるで寺子屋の生活みたいでした。
日記も毎日書かされたんですが、新聞の社説を読んで兄貴は感想文を書くんです。僕は読めない漢字に赤線を引いてその漢字を辞書で調べる。その後は習字です。兄弟全員、違う字を書いていたんですが、僕は「北風」という字でした。なぜか「北風」という字が好きだったんです。書き終わると、親父が朱で修正をして、今日は心が乱れているとか感想を書かれるんです。
テレビはNHKか教育番組しか見ることができないし、ファミコンもないし、周りの友達と話が全く合わない子ども時代でした』
365日同じことをできるのは、よほど根気強くなければできることではない。このエピソードでも面田さんの生真面目さが伝わってくる。
けれども意外にも、面田さんはコンプレックスの塊だったという。
『3人の兄達はスポーツも勉強もできました。少年野球でも4番でピッチャーのエース。何をやってもすごい。僕だけ2軍でキャッチャーでした。
兄達があまりに何でもできるので、地元では有名でした。僕が入学したときに「面田の弟が入った!」と注目されたんですが、運動が苦手だったのでボールを投げてもキャッチャーに届かないし、打っても三振ばかりでした。
中学に入学してから、兄貴はバレーボール部のOBだったので僕も期待されて入部しましたが、試合の時にはサーブを味方の後頭部に当てて怒られました。本当はスポーツがすごく苦手なインドア派だったんです。
教室の机には「面田先輩、好き」という落書きがしてあったり、兄貴は女の子からモテていました。みんなの憧れの存在で、自分の兄貴でありながら憧れでもありました。絶対に兄貴を超えられないと思っていたので、コンプレックスの塊にならざるを得なかったのかもしれません。
僕が介護の道に進もうと思ったのは、何かひとつだけでも自分が兄貴よりも秀でて、兄貴を超えてみたいという気持ちがあったからです。そういう道でなら、超えられるのではないかと考えたんです』
面田さんの強さは、確かに目に見えるようなわかりやすいものではないかもしれない。大きな懐で他人を支えられる「静かな強さ」というのだろうか。
男らしさというと、リーダーシップをとってぐいぐいと人を引っ張って行くと思われがちだが、面田さんのように他人の下支えができることも十分に男らしい。とにかく謙虚で、人間として信頼ができる。
そんな面田さんは男兄弟の中で育っているが、実は自身も、3人の男の子のお父さんなのである。
『自分が子どもを持ってみたら、180度も親父と違う父親になってしまいました。子どもに甘くて、僕が育ってきた環境と僕の育てている環境が正反対なので本当にこれでいいのだろうかと思っています。
子どもにとって僕は、友達みたいに近過ぎるのかもしれない。甘過ぎますね。でも、子どもに厳しくしろと言われたら、僕にとってはものすごくパワーが必要なんです。
子どもを持ってみて、親父のやってきたことの凄さがようやくわかるようになりました。相当なパワーを使っていたんですよね。親父の愛情が普通じゃなかったことが今となってわかります。誰よりも早く起きて4人の子ども達を相手にするということを毎朝続けていたのが凄いことだなと思いますし、本当に感謝しています』
面田さんには子どもの頃にお父さんからもらった思い出がたくさんある。ご自身の子煩悩な様子も、お話しを伺っているとしみじみと伝わってくる。一緒にサッカーをしたり、絵を描いたり、お子さん達への愛に溢れているように感じられた。それはきっとお父さんから脈々と受け継がれたものなのだろう。
そういう面田さんは、これから先、どのような夢を描いているのだろうか。
『フランジパニでギャラリーを始めてから7年くらいになります。若手の作家を助けたいから、カフェの壁を使ってギャラリーにしたいとオーナーにお願いして始めました。
僕も絵を描いているので、以前働いていた青山のバーで展示させてもらえたときに本当に嬉しかったので、作家の役に立ちたいと思いました。絵を描いて感じたことや、出会えた人がたくさんあったので、その気持ちを味わってもらいたいと思っています。
空間を貸すにあたっては使用料についてオーナーと相談して、結局、無料にしました。期間も1週間や10日ではお客さんが来られないと思ったので、3週間にしました。
作家同士がリレーのバトンのように繋がって行けるというのがとても面白いと思うんです。ここで出会った作家同士がコラボレーションしていることもあるので、ギャラリーをやってよかったなと思います。
作家はみんな何かを表現しているから、いい顔をしているし、面白いことを考えている人が多いと思います。だから、「やりたい!」というその人の想いがこちらに伝わってくれば、二つ返事でお貸ししたいと思っているんです。
僕は「自分の店を持ちたい」という夢もありますが、それが飲食業かどうかはわかりません。でも、15年飲食業をやっていて自分に合っていると思うので、このまま進んでいくのかなぁ・・・』
プティ・プワソンのアート教室Boutons d’artも、これから毎年、フランジパニで展示させていただけることになった。
面田さんの作る美味しいカフェごはんをいただきに、これからも何かにつけ、お邪魔しようと思っている。
(2010.3 インタビュアー 三上敦子)
jouer@petitspoissons.com までご連絡ください

